先日、整体治療を受けてきました。
施術してくださったのは、「セラピストのためのセラピスト」として有名な「仙骨先生」と呼ばれる方でした。
口コミと紹介だけで、骨盤の後ろ側の仙骨調整を
25年間も続けておいでです。
全国から、スピリチュアル系ヒーラーや、ヨガ教師、占い師が詰めかけるそうで、なかなか予約が取れないところを、
無理をして予約を入れてもらったのでした。
いよいよ「仙骨先生」のセラピーが始まる
診察を前にして、私は、整体治療を受けるのは初めてで、ドキドキしていました。
しかも、「仙骨先生」は、ある神社の宮司さんでもあり、身体を整えるだけでなく霊的にもかなりの治癒力をお持ちであるとのこと。
同行した友人から聞いて、かなり緊張していました。
診察前のアンケートにも、これまでに体験した霊的体験について質問項目がありました。
私には、以前、前世療法を受けた時に、思いがけずチャネリングが
始まった経験があります。それを正直に書いたところ、診察開始早々、
「チャネリングでは、誰が出てきた?」とぶっきらぼうに先生から詰問されて、緊張感がさらに高まりました。
これから、この霊能師さんにいったい何をされるんだろう?
しかし、実際に施療が始まると、ただ
うつぶせになって、布の靴のようなものを履かされて、
背中を小さいトンカチ様のツールでカチカチなぞられるだけです。
一切、身体をさわられません。でも、
さーっと何かが背中に動いている感触があって、
そのあと背筋がゾワゾワゾワーッと寒くなりました。
それで一旦、施療は中断です。
ここまで5分もかかりません。
不思議なのは、そのわずか数分の間に、深い瞑想をしたあとのような、
変性意識状態になっていたことです。
徳島県の剣山
ふわふわとした、その状態で、先生のトークタイムが始まりました。
私は、子どものころから、どちらかというと、キリスト教的な
ものに触れる機会が多かったので、前から気になっていたことを
お尋ねしてみました。
「徳島県の剣山は、古代、はるばるシルクロードを超えてきた、
あるいは、海路を船で渡ってきた、ユダヤ人の聖地だったそうですね。
先生は、神職でいらっしゃるとお聞きしているのですが、
これについてご存じでしょうか?」
すると、カチッとスイッチが入ったかのように、先生は饒舌に語り始めました。
古代ユダヤの国が、南北に分裂し、アッシリアやバビロンに
占領・捕囚された後、
祖国を追われた部族の一部がひたすら東へと逃れ、
日本にたどり着いた人々が、古代日本人の一員になったこと。
のちに、平安京の建立をささえた秦氏は、ユダヤ民族の一派であり、
京都太秦の広隆寺は、ユダヤ教の寺院であったこと。
「『平安京』の意味を古代ヘブライ語で発音すると、
『エルサレム』になるんだよ」
真言宗の祖である空海は、剣山の存在する四国が聖地であることを
知っており、
だからこそ、四国を巡礼の地と定めて、聖なる光を「封印」したこと。
自分は、神職というよりも、「除霊師」であると思っている。
などなど。。。
私は、次々と繰り広げられるお話に衝撃を受けて、
ただ、ぼんやりと先生の顔を見つめることしかできませんでした。
弥勒菩薩半跏思惟像
先生の語るお話はすべて、私がこれまでにいだいていた、
日本の「神道」のイメージからかけ離れていました。
そして、旧約聖書に記されているユダヤ民族の歴史と、
私が生まれ育った日本の精神性の基である神社の歴史とが、
本当に思いがけなく、ここで一つになろうとしていました。
私は、先生が、日本の神道だけでなく、キリスト教、ユダヤ教、仏教、
古代縄文時代の宗教、などなど、世界中のありとあらゆる霊性に通じる
豊富な知識を持っていらっしゃることに驚きました。
先生が語るそれぞれの信仰は、枝分かれはしているけれど、
元々は源流を一つとしていたかのような印象を受けたのです。
私の脳裏には、いつしか約20年前に広隆寺で拝んだ、
弥勒菩薩半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)のお姿が
浮かんでいました。
飛鳥時代に創られたという、この弥勒菩薩様のご像から、うっすらと、
白い光が天井に向かって立ち上っているのがこの目で見えました。
弥勒菩薩様を取り巻く空間が、
何とも言えない清らかな光に満ちていたのです。
先生の話がひとしきり終わると、最後に、ヒーリングの音叉でした。
ゴーン、ゴーンという528Hzや432Hzのリラックス効果の高い周波数につつまれて、こころと身体がすっかり安らぎました。
目を閉じていると、まばゆい光が眼の奥深くにまで届くようでした。
そのまま、私は、はらはらと涙を流していました。
うれしいのか、悲しいのか、自分でもよくわかりませんでした。ただ、
泣けて泣けて仕方がありませんでした。
「浄化だね」
先生がやさしく言って、施術はすべて終わりました。
セラピストが受けたセラピー
私は、普段、ヒプノセラピストとして、
クライエント様を潜在意識の扉の前にお連れして、そこから扉を開けて、
魂が揺さぶられるような深い体験をしていただいています。
ご自分にとって特に意味深い「前世」を体験されると、
号泣される方もしばしばおいでです。
今回、私が受けた「仙骨先生」の施療には、ヒプノセラピーのような、
言語を媒介とする誘導法はありませんでした。
「前世」といったはっきりとした行先ではなかったのですが、
潜在意識の深い深いところにまで一瞬のうちに連れていかれて、
明らかに三次元とは異なる次元で、
このうえなくゆたかなヒーリングをしていただきました。
こうして、セラピスト自身が、
いやされる経験、ヒーリングをしてもらう経験をするのは、
非常に貴重なことだと改めて思います。
なぜなら、
「いやされる」ということが、どのような体験であるのかわからなければ、
人に「いやし」をもたらすことなど、できるわけがないからです。



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