いじめ動画のSNS拡散が投げかけたこと
今年に入ってから、中高生のいじめ動画のSNS拡散が社会問題として大きくクローズアップされました。
栃木県の高校や、大分県、熊本県などの中学校で起きた陰湿で執拗な暴行いじめが暴行動画としてSNSで炎上し、世間の人々の注目を集めたのです。
その結果、
行政や教育委員会が重い腰を上げたり、
今まで介入してくれなかった警察が、適切に機能してくれたりして、
最終的に、いじめがスピーディに解決し始めているそうです。
最初の加害行為(一次被害)のあとに、周囲の反応や社会の仕組み、
あるいはネット上の拡散によって、被害者がさらに深く傷つけられる、
といった被害者への二次被害や、プライバシー侵害、という甚大なリスクは、たしかに無視できないでしょう。
しかし、思い返してみれば、今の子どもたちがSNSにたよるのと同じように、学校の力だけではいじめを解決できず、私の子ども時代も、外部の力に頼っていたような気がします。
インターネットがなかった私の子どものころは、学校や地域で起こった非道な暴行いじめを相談できる、腕っぷしのいい近所のおじさんのような存在が、子どもたちにたよられていました。
全国的に同じかわかりませんが・・・
「そうか、そんなひどいことをされたのか。かわいそうにな。
よし、おじさんにまかせておけ!」
の言葉とともに、弱いものいじめをする悪童を懲らしめようと、
すっ飛んでいったおとなの姿を、私はかすかに覚えています。
昔と今とでは、いじめの内容も様相がかなり違っていて、単純にりつけて拳骨をくらわせればよい、というものではないのかもしれません。でも、
こうした暴行動画を募って発信する「暴露系」「私刑系」などと称される
インフルエンサーに、何かしらの「たのもしさ」を感じてしまう私は、
古い時代の人間なのでしょうか?
学校の先生や親、警察に相談しても、何もしてくれなかったのに、
こうしたインフルエンサーに助けを求めたら、SNS上で非常に多くの人を
巻き込んだ議論を呼び、突然、警察が踏み込んでくれて、
いじめが解決する。
それなら、おおいに歓迎したいような気がしてきます。
いじめてしまう子どもの気持ち
ところで、いじめ、というと、こうした極度の暴力事件ではなく、小学校、中学校の子どもたちの仲間外れや無視、悪口といった心理的なものを、私はすぐに思い浮かべます。
特に、思わず他の子どもを攻撃してしまう「加害者」の子どもの気持ちが気になります。
なぜなら、私は親子関係の専門家として親子の関係改善を扱っているからです。
親に認めてもらいたいのに認めてもらえない悲しさや怒りを、
おとなになっても抱えている方は、実に多いです。
その悲しさや怒りが、職場や家庭で「攻撃性」としてあらわれたり、どうにかして認められようとする極度の「競争心」や「完璧主義」となって
自分自身を追い込み、いためつけたり。
こうしたさまざまな「生きづらさ」が、自分だけでなく周りも巻き込んでいる方に、よくお目にかかります。
そのため、子どもが、常に親からの、また親のような保護的な存在、
すなわち学校の先生とか会社の上司、さまざまな場面で出会う指導的立場にいる人々からの、自分への関心や承認、愛情を、
すがるように、切ないほどに求める気持ちに、
私は敏感なのだと思います。
承認欲求や愛情への渇きを満たす
ですから、いじめをしてしまう「加害」の芽を早期に摘み取ってしまうには、1クラス、35人に1人の割合の教師だけでなく、もっと多くのおとなが
学校に配置される必要があると私は考えます。
つまり、一人ひとりの子どもが抱える「自分だけに目を向けてほしい」
「自分の頑張りを認めてほしい」「自分の声を聴いてほしい」という
心理的・情緒的欲求を満たしてあげられるおとなを増やすのです。
そうすれば承認欲求や愛情への渇きが満たされるため、子どもたちの心は
落ち着いて、欲求不満や寂しさから生まれる攻撃性を他の子どもにぶつける必要がなくなると思うのです。
何かを「する」のではなく「共にいる」おとな
私が考える「おとな」とは、単に、先生の授業のアシスタントをする、
とか、図書館で読み聞かせのボランティアをする、などの
「業務」を中心に行う人ではありません。
何かを「する」ことではなく、子どもと「共にいる」ことに、より多くのエネルギーを注げる人を想定しています。
授業中や遊び時間に子どもたちと共にいて、子どもたちの様子をよく見ていて、一人ひとりの子どものようす。すなわち、
授業中に思いきって手を挙げてみた、とか、困っているお友達に声をかけてあげた、いつもよりもう一段高い跳び箱に挑戦してみた、などの、子どもたちの小さな努力に気がつける人。
あるいは、
沈丁花の花のつぼみが、昨日よりももっとふくらんだよ、とか、今朝、お母さんが髪をきれいに編んでくれたの、といった子どものこまやかな喜びに、丁寧に耳をかたむけられる人です。
今は、おとなも子どもも忙しすぎるのですね。
親も、学校の先生も、子どもたち自身も、「やること」が多すぎて
余裕がありません。
一人ひとりの子どもの心のありようを大切にあつかって、両手であたたかく包んであげられるようなおとなが、家庭はもちろん、学校にも、
地域社会にも、社会全体にも増えていけば、認められない寂しさや悲しさ
から、他の子どもを傷つける行為は減っていくのではないでしょうか?
そうすれば、陰湿なネットいじめや、執拗な暴力行為などにエスカレートすることも減っていくのではないか、と私は思います。

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