親の過干渉を受けていました

過干渉

 

過干渉。

親子関係の改善に携わっていると、日常的に、この言葉に触れる機会が多いです。

「過干渉」とは、「過剰に干渉すること。主に親の子に対する干渉を指す語として用いられる」
とあります(実用日本語表現辞典より)
親子関係における過干渉とは、親が子どもの行動を必要以上に制限したり、

親の考えや思いを一方的に押しつけたりすることを指します。

ちなみに、「過干渉」をgoogleで検索してみると、

「過干渉な親」
「過干渉していない?」
「過干渉な親に育てられた子どもの特徴」・・・といったタイトルでさまざまな記事がならび、
親との関係や、親として子どもの問題に取り組む際には、
はずせないキーワードになっているようです。

ところで、「過干渉」とは、いつごろから使われるようになった言葉でしょうか?

AIの助けを借りて調べてみると、

「1990年代後半から2000年代にかけて、欧米で 『ヘリコプターペアレント』という言葉が使われ始め、
その概念が紹介されてから、日本でも広まった」という説明がありました。

「ヘリコプターペアレント」とは、
子どものまわりをまるでヘリコプターのように常に飛び回り、
過剰に干渉する親を揶揄する言葉だそうです。
欧米社会でも、過干渉する親とその影響について
指摘され始めていたのですね。

心理学や教育学の分野で、子どもの発達や親子関係の健全性について
研究が進む中で、「過干渉」という概念がより明確に定義されるようになったとか。

たしかに、私が子どものころには、「過干渉」という言葉はなかったように思います。

親から「過干渉」を受けるのは、意識されるまでもない、
ごく当たり前のことで、あえて言葉にする必要がなかったのでしょう。

一方、
当時、「過保護」という言葉はありました。どちらかというと、
「子どもを甘やかす」のはよくないという、しつけ重視の意味合いから
語られることが多かったように思います。

過干渉の発見

 

私は、今、4人の親を全員見送って、自分の人生の終わりも見えてきた年代です。
ふり返ると、自分の人生航路を自分で決めてきたとは、とても思えません。
進学・就職と、結局は親の、特に父の意見に左右され、
女の子だからと、なかなか実家から出て自立する機会も
与えられませんでした。

結婚相手は自分で探してきたけれど、
親に承諾してもらうのに、それなりのエネルギーを使いました。

昭和から平成にかけて。
かつては、それが、当たり前の時代でした。

私が、この「当たり前」に最初に違和感を覚えたのは、
子どもの大学進学のときでした。
初めて、親の「過干渉」が見えてきたのです。

息子は、実家の両親が希望していたような大学を受験しませんでした。
そして、老親にとって想定外の進路に進んだのです。

めでたく高校を卒業し、息子の受験結果を親に伝えたとき、
親は気に入らなくて、不満をぶつけてきました。

息子が考える、息子にとっての最善に向かって、
私も一緒になって、一生懸命、受験期を乗り越えたのに、
親によろこんでもらえなかった。
つまり、親を幸せな気持ちにしてあげられなかったことが、
つらかった。

でも、なぜ、高齢の親が私の子どもの進学先にまで口を出すのだろうか?
実家の親と揉めて、3か月くらい親と音信不通状態になりました。

その後、私は身心の不調におちいり、前世療法と出会うことによって
自分の人生や、親との関係性を見つめなおすことになりました。

老いていく親の通い介護を続けながら、親との間に、少しずつ距離をあけて、
自分自身が癒されていった8年間です。

過干渉の親には【敬語】で接する

 

その過程で、信田さよ子先生の言葉に出会います。
それは、親とのコミュニケ―ションに【敬語】を使ってみるといい、
ということでした。

敬語など他人行儀な言葉を使うことで、親との心の距離がとれるのだと。
信田先生が、これまで多くの人たちに提案し、実施してもらった経験から、
効果がある、具体的な方法とのことでした。

信田先生は、日本のアダルトチルドレン支援のパイオニアです。
親子関係にかかわるカウンセリングの実践にもとづいて、
母が重くてたまらない:墓守娘の嘆き』をはじめとする、
数多くの著書を発表されてきました。

家族だから、親子だからわかり合えるといった「一心同体」の幻想を手放し、
親と子の、一人一人の「境界線」を尊重することが、
自由に個々の人生を生きていくことにつながると提唱されています。

さっそく、親に対して敬語を使ってみました。

「お母さん、来週、整形外科の診察に付き添いますからね」
「お父さんは、お昼に何が食べたいですか?」
「では、私は、今日はこれで帰りますよ」

丁寧だけれど、ちょっとかしこまった感じがありました。
娘、というよりもむしろ、
老夫婦を訪ねてきた、ホームヘルパーさんみたいでした。

それで、いい、と思いました。
親をうやまいながら、親から、あきらかに少し遠ざかって、
節度を持って接することができるからです。

私は、親に対して、あえて【敬語】を使ってみることで、
親との間に、目に見えない「境界線」を張れるようになり、
そして、少しずつでしたが、
自分の人生の主体は自分である、と思えるようになっていったのでしょう。

今から思えば、
それが、親の「過干渉」という鎖から、
解き放たれていく、第一歩だったのかもしれません。

おわりに

 

その他にも、
親と接するときには、
アサーション心理学にもとづいた「i -メッセージで話す」、
経済的に可能であれば、実家を出て自立してみる、
実家に自分の荷物を置きっぱなしにしない
などの方法がありますが、

もし、親の「過干渉」で悩んでいるなら、まずはこの、
【敬語】を使ってみるスキルを
お試しください !

形から入ることって、けっこう大事です !

小宮紹江

小宮紹江

小宮紹江
親子のかかわり改善ラボ 代表/セラピスト
別名は
「過干渉する・否定する・愚痴る親とのコミュニケーション改善ママ」

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